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2007年9月21日 (金)

火垂るの墓

今日は主人公 清太の命日。金曜ロードショーで「火垂るの墓」を見た。

娘はオープニングから涙涙涙・・・・。
家にもビデオがあって、もう何回も見ていてわかっているのだけど「あ 清太さんがせっちゃんの所に来たってことは死んじゃったんだ。エ~~~ン」で あとは泣き続けた。終わった時には目が泣きはらしてふくれていた。

実家では毎月「オール読物」と「小説新潮」を取っていた(週刊誌は週刊文春と週刊新潮だったから中間小説雑誌も両社を取っていたのだね)。まだ子供の頃、夜中に目を泣き腫らした母が私の部屋にオール読物を持ってきて「これすごい小説だからすぐ読みなさい。かわいそうでかわいそうで泣かずには読めないから。」と言って置いていったのだ。最初は句読点がなくてセンテンスの長い野坂文体が読みにくくて困った。それでも読みながら泣いた。それはもう散々に泣いた。読み終えて返しに行ったら「どうだった?どうだった?」と言われて「読みにくい文章だったけど読んだ。本当にあんなことってあったの?」と言ったら「あの時代にはああいう子供がいっぱいいたのよ」と言われた。母は野坂と同い年なのだ。「孤児院てなかったの?」「大人が生きるのも大変だった時代だからそこまで手がまわらなかったの」などと話したおぼえもある。

ウィキペディアで調べたらオール読物に掲載されたのが昭和42年10月号だったということがわかった。ということは私が読んだのは11歳の時だったのだなあ。11歳でも山ほど本を読む子供だったから別に困難なこともなく読めたが、11歳の子供にオール読物を読めという親も並じゃないぞと思った。それも夜中だしなあ。素直にすぐ夜中に読んでた私もヘンかもしれん。

野坂は昭和42年下半期に「火垂るの墓」と「アメリカひじき」で直木賞を受賞している。たしか受賞作一挙掲載号で「アメリカひじき」も読んだ。

うちの娘は16歳、息子は10歳。娘は清太さんのことを自分に引き寄せて考えたようだ。「もし私だったら」とさかんに言いながら見ていた。息子は泣きはしなかったが無口になって見ていた。見終わったら私にしがみついてきた。きっと親がいなくなったら ああやって死んじゃうのかと思って心細くなったのだろう。息子が14歳になった夏に見たら どう思うだろう、と考えた。実際に妹はいないが4歳の妹をかかえて生きていくことを考えたらやっぱり泣くだろうか?私自身も弟と8歳ちがいだったから11歳の時は3歳の弟がいたわけで「今あんなのをかかえて2人で生きていくなんてできない」と思ったもんな~。

「火垂るの墓」はビデオをDVDにコピーして永久保存版にしておこう。

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コメント

曖昧な記憶はアテになんないですね(苦笑)おとといは、親戚にあずけられるところから観たのですゞ
最初、駅の場面から始まったんでしたか。。。。駅の少年が、なぜ、ひとりぽっちで死んでしまったのか、回想説明してゆくわけですね(;_;)
あたしも実写版観たくないですゞでも広い心になって観ようかな。マルチさんも広い心でいかがでしょう。

マルチ:はい きっと見てしまうと思います(~_~;)
     仕事が入ってなければ、ですけどね。

ひまわりさんも見ましたか。駅で衰弱して死んでしまうところから始まるんですよ。駅員が投げたドロップ缶から節子の骨が飛び出して それだけで泣けてしまいました。エンディングは霊になった清太と節子が山の上からビルだらけになった現在の神戸を見下ろすところで終わっています。11月に実写ドラマになるそうですが、そっちはあんまり見たくないなあ。ひまわりさんはどう思います?

昨日テレビでやってましたねぇ#おまわりさんだけが味方に見えましたわゞ最後の結末は、ちょっと目をはなしたスキに観そびれてしまった…ガーン(-"-;) 昔観たエンディングは、人ごみの駅の構内で、眠るように逝ってしまったという記憶があるのだけど;

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