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2009年8月28日 (金)

ブタがいた教室

夏休みになってからDVDを借りてきて見た。

うちには生徒たちと同じ年の息子がいるので子供たちにも見せた。

高三の娘は「なに あの先生って。『食べます』って言って飼い始めたんだったら『食べる』ラインで指導していかなかったら ああなるのは見えてたでしょ。指導力なさすぎ。食肉センターに運ばれて行くところで終わっていたけど その後お肉を食べたかどうか、が問題なんじゃないの?」なるほど高三は もう子供じゃないわけだな。

小6の息子は「絶対Pちゃんは食べられない。食肉センターにやっちゃってかわいそうだよ。下級生に飼ってもらえばよかったんだ」という意見、というより情に流されている。

知り合いに「子供の時に鶏を絞めるのを見てから50歳くらいになるまで鶏肉が食べられなかった」という人がいる。

あの生徒たちは食肉センターに送られるのを見送っただけだけで屠殺するところを見たわけではないがトラウマの心配はないのだろうか。特に「殺さない」を選んだ半数の生徒は納得しているわけではなく あきらめただけだろうし。

私的には「育てて食べる」と宣言して飼い始めたのだから最終的には「食べてやる」のが供養なのではないかと思う。自分で育てたわけではないから何とでも言えちゃうわけだけどさ。下級生に引き継いで飼ってもらうというのは責任逃れになると教えるのも教育のひとつだと思う。ただヘタしたらトラウマを残してしまうような方法で『命』の大切さを教えるって どうなんだろうと思った。

しかし生徒達の真摯な議論は すごく大事なことだと思った。あれだけ真剣に考えることって普通ないもの。で なんであそこまで真剣に考えられたのかというとPちゃんの『命』がかかっていたからなわけで それだけでもPちゃんを飼った意味は大きいのかな。

実際にお肉をどうしたかは知らないが「Pちゃんのお肉だよ」って分けてくれたって なんだかすごくスプラッタなイメージが喚起されて そりゃ~食べられないだろうし、本当にトラウマを作ってしまうことになりそうだね。

実話は10年くらい前のことらしいから その時の生徒達も もう成人しているわけだ。Pちゃんを飼った思い出も各自の中で咀嚼されて消化されていることだろう。今 どう考えるか、実際の元生徒達の話を聞いてみたいものだと思った。

 


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