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2011年10月27日 (木)

国語辞典

仕事柄 辞書はよく使う方だと思っている。英語が9で国語が1くらいの割合だろうか。

三浦 しをんの「舟を編む」を読み 改めて「国語辞典」の存在意義についてと言葉の定義について考えさせられた。

辞書で何かを説明する時に「~~でない方」というのは避けたいと辞書を作る人たちは考えているらしい。限られたスペース、字数でまとめるのが大変だということも初めて知った。

昨日は息子に「“なまぐさ坊主”ってどういうこと?」と聞かれてすごくクドクドと説明してしまったので辞書で引いてみた。辞書の説明は簡潔である。簡潔ではあるが「これのことをこう言う
」のは十全に説明されている。しかし「なぜ そう言うのか」までは説明できないのが国語辞典なんだな。「なぜ?」の部分まで説明しているのは百科事典なのだろう。

それで思い出したのが先週の週刊文春の伊集院静の人生相談。「社会」を見事に言いきっていた。こういう風に辞典に書いてあったら良くわかるな、と思っていたのでご紹介したい。

「社会というものは人間がよりよく生きるためになくてはならないものを大人の男なり女なりが働くことで、きちんと提供することで成立している集合体なの。」
(原文ママ、下線部は原文では傍点)

これを読んだ時に「ハハ~こう言えるか」と感心してしまった。これは秀逸だと思う。国語辞典の説明よりずっといい。けど 辞書の記述と比べてみると 辞書の説明には「誤解」の入る余地がない ということがはっきりわかる。

「誤解」というか「理解」というか。原文で傍点の付いていた下線部の解釈についてなのだ。音楽に携わっている者としては「それなら芸術方面はどうなのか」と考えてしまうことになる。その辺が『辞典との違い』なのだ。

で「その辺」をどう解釈したかというと。音楽や絵などは「生きるためになくてはならないもの」ではないと思う人もいるかもしれない。しかし「見たり聞いたりすることで 無条件に人間を快くさせる」存在である。だから やはり「なくてはならないもの」と言って良いのではないか、と結論づけることにした。

閑話休題(それはさておき と読んでください)
「右」「上」「下」みたいな 普通なら説明がいらないような物事をどう説明しているか、改めて国語辞典を引いてみるのも面白い。
 


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